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【ネット時代の言葉の加虐性を問う。中村 中の新曲『あいつはいつかのあなたかもしれない』】北丸雄二・寄稿

 中村 中の新曲『あいつはいつかのあなたかもしれない』が、社会問題にもなっているSNSでの言葉の暴力に向けた彼女の思いを吐露している。ちょうど3月18日にNHKのEテレで放送された中村 中をめぐるドキュメンタリー『FACES いじめをこえて 30min.』(24日深夜24時に再放送)でも自身の被虐経験を丁寧に語っており、ネットの宿命のように諦められがちなこの時代の言葉の加虐性を、同じく言葉(歌詞)で癒そうとする彼女の姿勢が伝わってくる。

 歌は「道路で寝ていたあの酔っ払いを汚いモノを見るように観てた」人、「やっと声を挙げられた彼女の勇気をまた寄って集って嗤っていた」人の立ち位置を、その「酔っ払い」や「彼女」は「いつかのわたしかもしれない」「いつかのおまえかもしれない」と揺さぶる歌詞で始まる。いじめる人はいついじめられる人に変わるかもわからない不安の中でいじめる側にしがみつく。けれどそんな暴力的な「壁の落書き 昨夜の呟き/無差別に人を刺す切っ先」は、「いつかそこを歩く/己に向けた矛先」になるのだと。
 『FACES』内でも中村は、「あ、いたいた、殴り合いしようぜ」「あのオカマいたよ」など、かつてしばしば自分に向けて放たれた言葉の経験について話した。そうした若い日々の中で「神様、明日になったら、死んでますように、お願いします」と考えた自分の弱さも。
 中村は「番組の『いじめの体験談を共有して、そのトラウマから立ち直るきっかけを探るために、特に若年層へ向けて発信している』という理念に共感しました。自分の体験が必要としている人に届いて、役立ててくれることを信じて出演を決めました」と話す。 Eテレの番組プロデューサーもディレクターも彼女のそんな自分語りに真剣に付き合ってくれた。言葉を選びながらのインタビューは計12時間以上に及んだという。
 言葉は諸刃の剣。最も優しく、最も残虐な道具──「小さな祈りも 声が集まれば/世界を動かせる日が来た」はずなのに、一方で言葉の「わずかな自由」を自分の優位を確認するためにだけ「振り翳」し「振り回」すことがある。でも自分の目の前にいる人も、ネットの向こうにいる人も、「あなたの助けを今も待っている」「あいつはいつかのあなたかもしれない」と中村は歌う。そして最後に、「たった今 道を踏み外しそうなあいつを/止めてやれるのはあなたかもしれない」という人間の善意の可能性を示すのだ。

 「中村 中 Official YouTube Channel」では中村 中が自ら監督を務めた『あいつはいつかのあなたかもしれない』のOfficial Music Videoが公開されている。▶︎あいつはいつかのあなたかもしれない Official Music Video